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『ヴィジット』を観て。

アメリカ映画 2010年代の映画

 さあさあ苦手なホラー映画を観た。GEOで準新作が半額で借りれるチケットを持っていたので、あんまり深く考えずに借りたんだ。ただ、少し前に見た小島秀夫監督のYouTubeの番組(確か「ヒデチュー」)で、小島監督が褒めていたな。あれがたぶん僕の頭の中に薄ら残っていたんだと思う。あと、『ヴィジット』の監督は、『シックス・センス』を撮ったシャマラン監督。そういうのも関係してるんだろうな。

 さて、内容だけど、『シックス・センス』で最後に驚かされたので、そういう仕掛けを楽しみにしていた。また、予告編などで、主役の少年少女が訪問先の家主から3つのルール(「楽しい時間を過ごすこと」、「好きなものは遠慮なく食べること」、「夜9時半以降は部屋から絶対に出ないこと」)*1が提示されているような映像を事前に観ていたので、その要素がラストのどんでん返しに関係するのかな、と思っていた。しかし、そういう驚きはあまりなかったな。肝心のルールに関しても、お爺さんお婆さんから、軽く提示されただけで、あまり重要な要素ではなかった。(何か意味があったのかな?

 物語の映像は、祖父母の家に滞在することになった二人の子どもたちのビデオカメラで撮られたものである。つまり、物語外からではなく、あくまでも物語内の視点を鑑賞者は共有することになる。かの有名な『パラノーマル・アクティヴィティ』シリーズや『クローバーフィールド/HAKAISHA』と同じ手法である。(こういう手法で撮られた映画の呼び名ってあるのだろうか?)『パラ~』や『クロ~』はカメラマンたちが大学生や大人?だったのに対し、『ヴィジット』は10歳前後のコミカルな子どもたち。おふざけがたくさんカメラに映されて、なんだかあまりホラー映画を観ている雰囲気にならなかった。ただ、最初に登場したときのお婆さんの「心ここにあらず」な感じとか、姉ベッカによるお婆さんへのインタビューにおけるお婆さんの情緒不安定さは良かった。それ自体はあまり怖くないんだけど、これから起こるであろう恐怖への絶妙なスパイスになっている。

 ただ、肝心のホラー・シーンはあまり良くなかったな。大抵のホラー映画はゾクゾクさせる怖さというより、ビクッとさせるものばかり。『ヴィジット』もそういう類だった。この「ゾクゾク」と「ビクッ」はどういう風に生み出されるのかというと、たぶん、それは恐怖の対象が画面に映っているか、映っていないかの違いなんじゃないかと思った。「ゾクゾク」で僕が思い出すのは、『シャイニング』のとあるシーン。父ジャックが豹変した後、母ウェンディはジャックから逃げつつ、だだっ広いフロアにぽつんと配置された机に近づく。その机にはジャックが冬期休暇の間ずっと書き続けてきた何十枚もの原稿が置かれている。ウェンディがその原稿を手に取り読むと、そこには同じ文が連続で書き連ねてあった。実はジャックは豹変する前から、毎日毎日同じ文を延々と書き続けていたことが発覚する。そんなシーンである。この場合、恐怖の対象は原稿の文それ自体ではない。いや、確かにそれは怖いんだけど、それ以上に怖いのは、「毎日毎日同じ文を延々と書き続けていたこと」という、その瞬間にはカメラに映っていない行為なんだよね。そう考えると、先ほど僕が述べた、「お婆さんの『心ここにあらず』な感じ」とか「お婆さんの情緒不安定さ」は「ゾクッ」とさせるものなのかも。『シャイニング』との違いは、『シャイニング』は恐怖の対象が過去にあり、『ヴィジット』は未来にある(であろう)こと。

 まあしかし、そういう光るシーンはありつつも、基本的にはあまり楽しめなかった。やはり肝心な部分では恐怖の対象が画面内に映されてしまうから。この点に関しては、もっと工夫できたのではないだろうかと考えた。肝心な部分でも恐怖の対象を画面外に追いやることができたのではないか、と思ってしまう。というのは、物語の映像は、物語内のビデオカメラの映像であるため、展開次第ではそのカメラに恐怖の対象を映させなくすることができるはずだからだ。襲われてカメラが落とされ、カメラが虚空を撮り続ける。映像は変わらないが、子どもの悲鳴だけが木霊する…などそんな感じだ。なんか怖そう。実際そんなシーンもあったのかもしれないが、お爺さんお婆さんのエキセントリックな動きばかりが記憶に残っている。恐怖の対象を画面外に押しやることに集中したホラー映画を観てみたいな。

ちょっとラフに書いてみた。気楽。

*1:Wikipediaより。

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